ひぐらし最終回

ひぐらしの最終回をやっと見た。
同じ季節が何度もループしてそれに気づいてループから抜け出すってのはまた日アスの夏ヘノ扉ネタだったねえ。
STUDIOKIMIGABUCHIの長編同人誌「RE-TAKE」も似たような話だったんだけど、アスカ人夏エヴァの終わり方に納得できずもう一度やり直したいと思ってるんですね。
一方、アヤナミストはというと、
http://d.hatena.ne.jp/oizumi-m/20061021

綾波レイというキャラクターは無口な中学生として現れ、最後には地母神となって人類の再生のために首をほふられます。「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメは綾波レイという女神のための壮大な祭りだったということもできるでしょう。僕はこの祭りと女神の運命(物語)に熱狂した先住民の一人であるわけです。




この時、エヴァという物語と綾波というキャラのどちらが先なのか、というのはよくわかりません。はっきりしているのは、人類という自らの子供たちの再生のために、彼女が首をほふられて死んでいくという物語が必要だったということです。そこにあったのは、地母神と言う、最も古くから伝わる神の物語の一つのバージョンでした。ウブメもまた、地母神の一つの変形でしょう。その姿をどのように現代に定着するかという点で、京極と庵野の仕事は交錯します。



縄文土器土偶地母神ですよね。綾波に比べるとずいぶん太いです。いわばあれはフィギュアなわけですけど、昔の人はああいうのにフェティシズムを感じたんでしょうかね。「フィギュア萌え族土偶とともに発生しました。僕らはその共通の子孫です」なんて論文を書いたら、大谷昭宏はどう思うだろう。

綾波地母神となって犠牲になり、人類は救済された!綾波様万歳万歳万々歳!とあれはあれでハッピーエンドなのでもうやり直す必要はないと考えているわけです。
アスカ人アヤナミストは光と闇、けっして相容れない存在ってことですね。
僕は当然アスカ人なんであんなくだらない終わり方じゃ納得できないから作り直せ、どうせ今の庵野じゃグダグダになるだけだろうがな!派ですがね。

ひぐらしですが、アスカ人ひぐらし派、アヤナミストAir派って分類ができますな。