キモいオタが夕暮れさらにキモいオタを叩く

http://www33.atwiki.jp/kimoiotaku/
肛門発言で大炎上の結末は、赤井さんが取締役 だ け 退任して収束のようですが、エヴァの頃はオタ批判だったのが今だとキモオタ批判になってるのが、まあオタクの地位向上ってやつなんですかね。
オタキングの「オタク・イズ・デッド」も俺らオタクとあいつらキモオタを一緒にするなって話でしたが、ガイナ関係者ってこんな人ばかりです。
キモオタのせいで役職やめた鬱憤は、次号のオトナアニメ更科修一郎にキモオタ批判させて解消でしょうかね。いや絶対やりますよ、これ。グランガラン語る際にこれに触れないなら更科先生の存在価値がないですから。

 現在でもインドにはカースト制度が残っているんですが、なんと数千もの身分に細分化されているそうです。大雑把に分けると四個ぐらいの身分しかないはずなんですが、いつの間にそんなに細分化されたのか。そもそも数千に分ける合理的な必然性なんてありません。
 ところで、最近まで日本では「オタク」は恋愛資本主義カーストピラミッドの最下層に落とされていました。オタクというレッテルを貼られた人間は恋愛資本主義市場から締め出され、不可蝕民扱いされていたわけです。「オタク=キモメン=ロリコンニート=幼女殺人者予備軍」というような連想によるレッテル貼りが平然と行われていました。オタクという身分に、あらゆる社会のマイナスイメージがすべて仮託されていたのです。ナチス政権下のユダヤ人みたいな扱いです。つまり恋愛資本主義市場における「最下層の人間」というカテゴリーにたまたま「オタク」という言葉が使われていたわけでs。
 ところが『電車男』のヒットや「萌えバブル」の到来によって「オタクも案外イケてるじゃない」ということになりました。すると、掌を返したようにオタクのイメージが良くなりました。これによって恋愛資本主義市場にオタクの参入が許可されたわけです。
 さて、『電車男』のヒットによって、オタク差別が軽減され、オタクの春が来ると思った人も多かったのではないでしょうか?恋愛資本主義市場とオタク界を行ったり来たりできる、そんな世の中が来るのではないかと。
 ところがもちろん、そうはなりませんでした。
 今度はオタクの中に「モテるオタク・イケてるオタク」と「キモオタ」という二つの身分が作られたわけです。つまりオタクのうち、(顔が良いとか金があるといった恋愛資本主義市場に参加する資格を持つ)一部だけが恋愛資本主義市場に認められて「キモくない」というお墨付きをいただき、そうでないものは今度は「キモオタ」という新しい蔑称を与えられてさらに差別され続けることとなったわけです。
 はい。これで、「オタク」が「オタク」と「キモオタ」に二分されましたね?
 たぶんインドのカースト制度もこのような身分の分割を繰り返してきたのです。何千年もかけて分割を続けていくうちに数千もの身分ができてしまったのではないでしょうか。違うかもしれませんが。

喪男の哲学史」はやっぱためになりますな。