ああ魅惑のループ作品よ!

火の鳥 2未来編 (角川文庫)

火の鳥 2未来編 (角川文庫)

火の鳥未来編」
火の鳥2作目にしてすべてのテーマが開示された作品。
火の鳥の世界は無限に崩壊再生していくループ世界で、今まで手塚が描いてきた漫画もすべて同一世界の物語だった!だって作者は作品世界の創造主で神だからな!
その作品世界で無限に輪廻転生し永遠に苦しみ続ける猿田は、漫画を生涯描き続けることでしか生きることができない漫画家手塚自身の姿でした。
完結編である火の鳥現代編は結局描かれることがなく、手塚の死と共に猿田の苦悩も終了して、ここに作者と登場キャラの同一性が証明された。
手塚プロ火の鳥現代編をサイボーグ009のようにでっちあげるものだと思っていたが、さすがにやらなかった。
夢野久作全集〈9〉 (ちくま文庫)

夢野久作全集〈9〉 (ちくま文庫)

ドグラマグラ
ご存じ日本三大奇書のひとつ。
その内容を要約するのは困難を極めるが、一言で言ってしまえば精神病院に閉じこめられた記憶喪失者が母萌えと妹萌えの間で悩む話。
夢野久作は義理の母と妹のために父親の右翼の大物杉山茂丸に直談判したりして、小説の親父の因果で苦悩し続ける主人公呉一郎と被るんですが、火の鳥がそうだったようにライフワークなんてものは作者本人が勝手に投影されるものですよ。
最後に鐘が鳴って世界をループさせたのは1930年代の日本の閉塞感と自らを重ね合わせたのだが、1935年1月の刊行から半年後杉山茂丸が死亡、その死によってその後の創作活動が期待されていたが、1936年3月夢野久作も病死した。
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

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うる星やつらビューティフルドリーマー
BDのエンディングの校舎の鐘はあからさまにドグラマグラからの引用ですが、ドグラマグラ世界を支配していた正木博士と違って、1984年のこの作品ではラムのようなアニメ少女が支配しているのです。
敗戦によって世界への進出が失敗し、70年安保闘争の敗北で階級闘争もご破算になった80年代、消費社会の象徴たるオタク増殖の原因だったうる星やつらを監督するハメになった遅れてきた学生運動闘士押井守がうる星を総括すべく作った映画なのでいたるところに毒をこめてます。
ラム=高橋留美子のつくった世界から逃げだそうとするあたるとラムの力を借りて自分の夢を語りたい夢邪鬼はどちらとも押井守の投影キャラですが、結局あたるの逃走は普段どおりのうる星世界への帰還という形で終わり押井の闘争=逃走劇は失敗に終わります。
オタク世界から逃れようとしても逃れられない当時の押井自身の自虐ですね。最後に「一生やっとれ」と吐き捨ててます。
オタク界の母である高橋留美子がこの映画を嫌うのも当然でしょうね。まるで子供の親離れを嫌う母親のようです。
漫画のほうの最終回は一生終わらない鬼ごっこを続けてやるといううる星世界の永遠性を謳った最終回でした。紅い眼鏡
1987年作品。BDとセットの映画。
うる星やつらで隠していた本音を全部バラした。
「やっぱり、どこかの世界ですよ、とごまかしたりとか、違う世界に移し変えてやったりとか。例えば、革命みたいなことをやるんでもね、革命する側から描くんじゃなくて、警察の側でやるとかさ(笑)。」と押井本人が語ってるように機動隊と言いつつも全共闘闘士の話ですね。
プチブル一色になった80年代の日本にアカいメガネが帰国してきて、最後に千葉繁は死んでもこれは無限に続いている闘争劇だという話でした。
実際、「紅い眼鏡」で千葉繁が死んでもケルベロスサーガ、立喰師列伝として21世紀の今になっても何度でも復活してくるのです。
犬夜叉も全然終わらないし、どっちともしつこいですね。
リプレイ (新潮文庫)

リプレイ (新潮文庫)

「リプレイ」
ケン・グリムウッドによる小説。1987年刊。
今回の新エヴァでループものの元祖とか言われていてべつにそんなことはないのだが、最後にハッピーエンドで終わるところが新しいのか。
ヤッピーになってしまったヒッピーの後ろめたさ解消の旅で、これが当時のアメリカ社会の気分ってものよ。
この後グリムウッドが書いたのがイルカ癒し小説「ディープ・ブルー」だからとことんヒッピー趣味だねえ。
同様の作品にビル・マーレーの映画「恋はデジャ・ブ」がある。
未来の想い出 (Big comics special)

未来の想い出 (Big comics special)

未来の想い出
1991年の作品。
藤子F不二雄がもう一度生まれ変わってドラえもん以外の漫画も描きたいと言い出す漫画ですよ。藤本先生はこの5年後に死亡していて当時から病気がちだっただけにすごい切実です。
手塚の遺作「ネオ・ファウスト」を下敷きにしていますが、タイムトラベルものは藤本先生のほうがうまいですね。手塚より理詰めの作風だからこういうのにむいてます。
未来の想い出は最初に出ただけで文庫化すらされてないが、小学館ドラえもんでさんざん儲けさせてもらった借りぐらい返したらどうだ。
「夏ヘノ扉」
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/ss/07/episode27pp.htm
本田透エヴァSS。1997年7月の夏エヴァ公開直後にしろはたにて発表された。
無限ループし続けるエヴァ世界の地獄図から抜け出そうとあがくシンジにはオウム阪神大震災と揺れる日本の姿が投影されていて、エヴァ本編の悲劇性を数倍に増幅しています。
エヴァは臨場感がまったく無くまるでアニメを見ているようだったwのは10年たって当時の閉塞感がなくなったからかねえ。
ネットで発表時にはエヴァ世界の神=アスカだとされていたんだが、1年後に発売された同人誌版では神=シンジと改めて定義しなおされた。
アスカへのシンジの虐待を認識しろと読者に詰め寄る小説だが、ウィキペディアの夏エヴァの項目には補完シーンでのキッチンでの首締めが書かれてないのを見ても、エヴァファンにはたいして伝わってないとか。
最後の首締めを他者に向き合ったシンジ君はエラい!あれはハッピーエンド!とのたまう人達ばかりだししょうがないか。
エヴァがホントにループオチならばあれがハッピーエンドだという解釈はなくなるわけだが。
ループ (角川ホラー文庫)

ループ (角川ホラー文庫)

「ループ」
鈴木光司作、1998年刊。リング3部作完結編。
貞子の怨念ものとして人気が出た「リング」だったが、なにが気に入らなかったか「ループ」では「リング」の世界は仮想現実のマトリックス世界で高山こそ世界の救世主ネオでコンピューターウィルスの貞子を倒すというとちくるった展開に。この父権の権化みたいなキャラ高山が露骨に鈴木先生なんでなんだこのメサイヤコンプレックスはとあきれちゃいますが、映画化され貞子人気が暴走し作者の手から離れてしまったのをなんとか自分で制御したかったんでしょうね。自分でつくったキャラに嫉妬する作者という構図はコナン・ドイルとホームズのころからありがちな話で、物語の真の作者は作家なのか読者なのかってヤツです。「ループ」を踏まえて2000年に公開された映画が「リング0 バースデイ」で、仲間由紀恵演じる貞子が実の父親に殺されるという貞子と鈴木光司の関係を描いたメタ映画でしたよ。ハリウッドでリメイクされた「リング」は小説は無視して映画版設定のままだったし、仲間由紀恵はまるで貞子が乗り移ったかのように大ブレイクしたし、客は貞子の活躍のほうを選んだってことですね。鈴木先生が小説を書けなくなったのも貞子の呪いとしか言いようがありませんや。
かってに改蔵 26 (26) (少年サンデーコミックス)

かってに改蔵 26 (26) (少年サンデーコミックス)

かってに改蔵
久米田康治作。週刊少年サンデーに1998年から2004年にかけて連載された。
永遠の高校2年生といえば「うる星やつら」ですがその後継者というべきぐるぐるマンガ。改蔵と羽美はあたるとラムの現代版でさーね。
1話完結学園ギャグマンガが同じ学年をループするのはお約束の展開なんですが、それを逆手にとって「改蔵」の最終回は、いままでループしていたのは精神病院に入院していた改蔵たちが見ていた妄想だったからだよ!という衝撃のオチに。ドグラマグラかYO!
連載時にはそれまで白黒だったのが最後のほうのページだけカラーになって、白黒の精神病院からカラーの現実社会に復帰する感動の演出だったのですが、単行本ではカラーがすべて白黒で収録されて感動が台無しに。雑誌版のあの抜けるような青い空が底なしの暗黒を思わせる黒い空になった日にはこの世の全てに絶望しマガジンに移籍して毎週絶望しつづけるのもしかたなし。
「RE-TAKE」
http://www.kimigabuchi.com/
きみまる先生は「あずまんが漂流教室」などの鬱パロディ漫画で売れていたんですが、この6冊も使って展開されたアフターエヴァ漫画は最後のエヴァSSとしてその名が高い。
いわゆる逆行モノで記憶を持ったまま時間を遡る定番の展開なんですが、とにかく演出がうまい。
断罪キャラのアスカもいいけど、やはりペンキ缶かぶる綾波のシーンがいい。
きみまる先生はこれが完結したことで一段落ついたみたいだし、とっととプロになってほしいんだけどどんなもんかね。
ひぐらしのなく頃に祭(通常版)

ひぐらしのなく頃に祭(通常版)

ひぐらしのなく頃に
ホラーギャルゲー。
同人ゲームから今年を代表するアニメに成り上がる。
ヌルいギャルゲー展開を嘘だ!と断罪する姿にエヴァ以来待ちわびていた断罪オタクを狂喜させた。
裏に前大戦の闇が隠されていて、それを暴くことこそループから抜け出す鍵だというところにドグラマグラ以来続いているループものを解体する作品になれるかもという期待があるが、こういうのは作者が生きている限り何度でも続けさせられるのでムダに延長するかもね。

作品は作者が100%管理できるものではなくつねに社会からの影響があるのでこの日本社会に劇的な変化がないかぎり、日本の閉塞社会の象徴であるループ作品が途切れることはないでしょうね。